旧長谷川家について

旧長谷川家とは?

江戸時代から続く名家であり、「川端」の屋号を持つ長谷川一族の本家として使用されてきた「旧長谷川家」。

大正12年に発生した関東大震災により以前あった建物が倒壊し、その当時の当主である長谷川安五郎によって同じような大型地震が来ても問題無い家を作るとの考えから建築計画が始まった。

まずは木の選定を実施し、昭和元年に山から切り出された木を4年かけて乾燥、そして昭和5年に上棟した。

建物を作るにあたり、宮大工の大井定二・茂治兄弟を棟梁・副棟梁とし、他に全国から腕の立つ職人を呼び寄せて寺社仏閣に引けを取らない家屋を建てた。

翌年に長谷川家の建築に係った大工及び職人は、長谷川家と同じく初声町三戸にあり関東大震災で倒壊した光照寺本堂の再建を行った。

建物の規模は、木造平屋建てで面積は約262㎡、瓦葺きの入母屋屋根、築88年である。

正面玄関を入ると、一枚板の上がり框があり、左側壁が黒漆喰、天井が格天井となっている。

その次の前室上部には、巨大な神棚が設置してあり、正面の1枚絵の襖を開くと和室6帖の仏間がある。

仏間には、作り付けの大きくて見事な仏壇があり、この部屋から左右の部屋に移動できる。

右側にある和室10畳の二間続きがメインの部屋となり、書院造の様式となっている。

正面にある床の間には、鉄刀木(タガヤサン)の床柱を使用し、左に違い棚、右に付け書院を配している。

その周りに、一枚板の床と10m近く飛ばした丸太の梁で出来ている広縁があり、その右手奥に数寄屋造りの部屋がある。

この部屋は、メインの部屋と違い、丸みのある面皮(メンカワ)を残した柱の使用や自然材を使った床柱等の数寄屋の特徴が良く出ている。

障子等の木製建具も当時からの物であり、美しく見せるために細い桟を細かい間隔で入れてさらに面取りを施している。

特に付け書院の建具は、現在作れる人がいないのではと思えるほど精緻な造りとなっている。

その他にも、各部屋の天井の違いや欄間などの細工、廊下を通過して仕舞う雨戸など見るべき部分が多い建物です。

建築時の図面や上棟時の写真、棟梁が書いたと思われる手板も展示してありますので、ご覧頂ければと思います。